録音のすすめ タウンハウスの歩み
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録音のすすめ その1 〜想像は創造〜
  録音の記事で細かな技術論をよく目にします。ボーカルを録るときは何KHzを何dB上げて、とか、マイクの位置はここ、指向性はあっち向け、とかいう類の解説です。理論を極めて、さらに経験を重ねた上で、その「本質」を書いたものがない、ということに気付きました。そこで、PA・録音の技術者としての私が、さまざまな環境で苦しみながら編み出した経験則を、このコラムの読者に、そっと伝授してみようと思うのです。

 「録音」。それは大洋の淵のように深く、大宇宙に通じる哲学なのです。

 と、大きなテーマで出てしまいましたが後が続くかどうか、やや、心配なところがあります。でも、これくらいのハイテンションから入った方が、読者も楽しめるのでよいでしょう。
 ぼちぼち本題に入ります。現場での体験で常々思うのですが、一口で言うと「想像は創造である」ということなのです。すなわち、何かを創り出そうとするときは、まず想像、イマジネーションが働かなくては出来ないということです。こんな抽象的で観念的なことを言うと、関西人には「なんやねん、まるで小泉首相みたいやな」と、突っ込まれるかもしれません。いやいや、ここがまた奥が深いところなのです。

 その答えは・・・。というわけで、これからぼちぼち蘊蓄(うんちく)をたれていこうと思います。お楽しみに。

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  録音のすすめ その2 〜摩周湖の霧の中で〜
  せっかくの訪問者を引っ張り回した上に、ぼちぼち本題に入ろうという段になって突然「今日はこれまで」と終わってしまった初回の講義でした。

 やっと、本題です。

 先日、タウンハウス・スタジオで最新のリバーブ機をテストしました。今、流行のサンプリング・リバーブという、音楽ホールなどの残響データを機械内に持つ優れものです。音響機器では定評あるY社とS社のものを試しました。共に高価な機種ではありますが、それに見合う信頼度は高く、うまく仕上げられています。オーケストラならオランダ、アムステルダムにある"コンセルトヘボー大ホール"、室内楽ならオーストリア、ウィーンにある"コンチェルトハウス・モーツァルト・ザール"。これを使うと、有名ブランドのホールがスタジオで簡単に再現できるのです。石造りの教会のシミュレートなど、なかなかリアルな雰囲気をつくり出せます。便利な機械です。

 でも、ここでちょっと落とし穴があります。残響の再現性がいいことが、すなわち音の創造には結びつかないのです。音楽制作の過程で、プロデューサーやミキシング・エンジニアが曲にあった雰囲気のリバーブをつくります。特に、打ち込みなどのスタジオ録音では感性の像(image)で創り上げるという表現が適しています。例えば、「摩周湖の霧の中で、こころを癒して歌う」とか、「広大な草原の中で、風に向かってささやくように歌う」とか、はたまた「グランドキャニオンの絶壁の上で、深い淵に向かって叫ぶがごとく歌う」といった想像です。曲の雰囲気をさらに深く、想像力をふくらませるのです。「晩夏の渚で、沈む夕陽を追いながら歌う」なんてどうでしょう。

 あなたならどんなイメージで残響をつくりますか。

  意外なことに、これらを最新機器のサンプリング・リバーブで再現すると、すべて味気ないノン・リバーブに近い音になってしまうのです。音楽は人の感性に訴える芸術ですから、人間味を創り出す要素がとても大切です。そこで、これらのイメージにあった残響を創造(creation)していくことになります。

 あれこれ思い巡らします。摩周湖は高域の延びたプレートリバーブで、少し初期反射を長くしたほうがいいだろうか。大草原だとルーム系のリバーブを、長めの残響でかけるといいだろうか。自ら演奏した経験や、音響エンジニアとしての数々の体験を生かしながら考えます。グランドキャニオンは、ホール系のリバーブにディレイでエコーを多めに返してやろう。海岸は初期反射のないプレートで行こう。などと、想像をふくらませて創っていくのです。もちろん、定番はあります。しかし、残響だけを取り上げても、表現の解はいくつもある世界です。その曲のよさを一層引き立てる道具として、扱いやすいものでなくてはなりません。つまり、リバーブに求められる機能は、いろんなパラメーターを細かに操作できるほうがいいのです。残念なことに、今回テストしたサンプリング・リバーブの機種は、音響技術者の感性を表現する道具としては、あまり深く考えずに作られていました。ただ、音のパフォーマンスは非常によく、いい音でした。将来さまざまなパラメーターを自分で設定して「創造」していける機種が、新たに登場することを期待しています。

 もう、お分かりでしょう。そうなのです。「想像は創造」。どんどん想像を巡らせて創造していく楽しさ、それが芸術としての録音の醍醐味です。

 次回は、実際にクリエイト(創造)するときの方法の手がかりについて、お話ししようと思います。お楽しみに。

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録音のすすめ その3 〜音の料理の鉄人〜
  今回は、音作りのこつをお話ししましょう。いつもくどいように「想像」とばかり言っています。少し切り口を変えればよく分かるのですが、今回もしつこく、テーマは「想像」です。

先日、厚生労働大臣賞を受けた料理店長の店で、料理哲学の話に花が咲きました。料理人の中でも鉄人といわれる人に贈られる賞なので、Nさんはわざわざ店を休んで東京の会場まで行かれました。愛子さまの生誕を祝って皇居前は記帳の人たちで賑わっていたそうです。この人は料理の鉄人ですから、もう若くはありません。若いころに蓄積した料理技術を、店の板場さんたちに伝授しながら、お客さんを大所で見守っているのです。

 「まだまだ、腕は鈍っとらんで」と、私の目の前で白いマッシュルームを包丁の刃もとでくるりと回しました。10秒ほどで出来上がったのは、細かな波模様が入ったマッシュルームの「華」でした。まるでクリスマス・ケーキの飾りのようにきれいです。そんなすご腕の鉄人が、どうしても伝えられない技術があるといいます。それは客人に美味しく、しかも印象深く味わってもらうプレゼンテーションです。日本の料理は決して味だけではないのです。料理人の感性で客人の五感に訴える料理が極められることが、じつは、いちばん難しいことだと話していただきました。鉄人の若いころ、板前修行の合間に華道も茶道も習ったといいます。

 音作りもまた、芸術であることに共通するものがあります。ここで紹介するのは、私の手法のひとつで、曲の全体像や個々の音を絵に例える方法です。構図、配色、筆のタッチなど、絵ごころと歌ごころは共通するものがあるのです。絵の構図は楽器の配置。配色は音色。筆のタッチは残響やエフェクター類に置き換えられます。

 まず、構図です。音作りでは曲全体の楽器の配置です。曲のイメージを、印象派モネの睡蓮で配置しようとか、ピカソやミロの抽象画で構成しようとか、シャガールの馬はどの辺りに飛ばそうとか構想を練るのです。月はどの辺りがいいだろうか。ゴッホのヒマワリは…。ダリの時計は…。全体の構成とタッチが芸術的に、つまり感性でイメージを描くわけです。

 次に配色です。音色でそれぞれの楽器が、あるときは浮き立つように、ときにはなじむように。ミキシング・コンソールの操作では、高域や低域の音質調整と、残響の加減です。イコライザーとリバーブを操作して、ウォール・トーンやパッド系の背景音の前に明るい音を配置します。明るい色は小さくても浮き立つといった絵画の手法を、音作りに置き換えるのも面白いものです。

 じつはこの時が、音作りにとって最も大切な命が吹き込まれるときなのです。十分に想像力を振るい立たせます。モネの睡蓮風に、音では空間系のリバーブを深めにかけます。絵では少し離れたところに陰をつけて立体的に際だたせます。音では残響の初期反射音の時間差を増やして、その音が前に出てくるようにします。あなたはダリのガラ婦人が宙に浮いている姿を想像出来ますか。あとは、みなさんの創意と工夫をこらして、独創的な作品に仕上げてください。

 私は絵を見るのが好きでよく美術館に行きます。日ごろの感性を磨くことです。料理の鉄人が華道や茶道でこころを磨くのと相通じるものがあると、つくづく感じました。たまにはミキサーの前を離れて画廊や美術館へ出かけてください。きっと、芸術の女神が微笑みかけてくれることでしょう。今、京都市美術館に来ている日展は2002年1月14日まで開かれています。

 次回はまた違う切り口で少し脱線しながら、お話を考えています。お楽しみに。

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録音のすすめ その4 〜川面を引き立てる水鳥のように〜
  今回は、初心者が陥りやすい失敗についてお話しましょう。

今年の京都は1月というのに、春のような暖かな日が続きました。朝、京都御所の木々を渡る野鳥の声が、こころなしか増えたように感じます。鴨川にはマガモやコサギの清楚な立ち姿を縫うように、ミヤコドリ(ユリカモメ)が飛び交います。大きな鳥たちに混じって小さなセキレイが川面を引き立てます。陽に輝く鳥たちの翼は、さながら音楽です。

 前回少し触れたことですが、絵に例えると配色にまつわることです。人それぞれ、好みの色があるように、好みの音色もまた、それぞれあるようです。ひとつのキャンバスで同系統の色相を使った絵は、地味な印象を与えます。特殊な効果を期待するときはいいのですが、訴える力が弱くなってしまいます。つまり、面白くない絵が出来てしまうのです。

 音もまた同じ考え方です。それに気づかず、同じような音色付け(イコライジング)をしてしまいがちです。また、同じような音色の音を同じ定位で鳴らすと、互いに当たってしまい、目立たないぼけた音になってしまいます。高域から低域までいろんな音が出てくるサウンドは、互いの音が引き立て合って、聞いていて美しく感じます。楽曲にはとても大切な要素です。ぜひ、いろんな音の配色を楽しんでください。

 それから、イコライジングのこつを、ひとつ。
好みの音色を強調してしまう、つまりその音質(高域や低域の音)を増幅してしまうことも陥りやすいことです。私たちはブーストと呼んでいます。子どものころに描いた絵を思い出してください。色をどんどん重ね塗りをして描き進むうちに、全体が黒くなってしまったことはありませんか。音の場合もブーストしていくと、どんどん濁っていく傾向にあります。余計な音色をカットするように心がけることです。

 ひとつ実験です。背景音(パッド)系の音の1KHz辺りをカットして、その音にストリングスの1KHz前後の音をブーストして乗せてみてください。レベルを少しずつ変えてみると、両方の音がはっきりと聞き分けやすくなったことがわかります。この方法はカラオケのバランスを取るときに、あらかじめ歌が乗る場所を空けておくためにバック演奏の1〜2KHz辺りを抜く、といった応用ができます。是非一度試してみてください。

 ただし、極端に抜いてしまうと、逆にその音が死んでしまうこともあります。何ごとも、ほどよい「引き」が大切なのです。

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録音のすすめ その5 〜古都の文化ゾーンで盗んだ技術〜
  もう、三十年近く昔のことです。当時の京都にはホールが少なく、京都でコンサートをしようとすれば左京区岡崎にある京都会館が筆頭でした。実際よく使われていました。平安神宮があるこの辺りを、京都市が文化ゾーンとして整備したのです。美術館、見本市会場、動物園などが、ゆったりと流れる琵琶湖疎水につり合って端座しています。ケヤキの街路樹ものびやかです。いまでも文化の都・京都をよく表している一帯です。

 当時私は、会館の音響技術を手伝っていました。ホールは連日、興業コンサート、舞台、発表会や学会などが目白押しです。規模の大きいコンサートでは専属の音響スタッフがいますので、会館側では既設の設備への接続を管理する程度です。技術的なやりがいは、むしろ小コンサートや講演です。幾度となく失敗し、上手くできたときの充実感を味わいながら体験するうちに、自分のものになっていきました。このころの体験は今でも身についています。

 技術を体得する早道は何か。私はやはり真似ることだと思います。赤ん坊は繰り返して言う親の言葉を真似て覚えます。動作や発音の手本になるものがあると成長はいっそう早くなります。

 ところで、ミキサーにとって今は、簡単に真似が出来る時代になっているのです。例えば、世の中みなボーカリストと言わんばかりにカラオケが出回っています。そう、それもオリジナルで。これはもうミキサーにとっても非常にありがたいものなのです。まず、歌なしのカラオケをじっくりと聞いてみてください。バランスのとり方とか、歌に隠れて分かりずらかった個々の楽器のエフェクターのかけ方などが聞きやすくなります。それを真似て自分のミックスに応用するのです。

 「どのようにエフェクターをかけているか分からないから教えて」と言う人がいます。これはよくありません。もう一歩進んで、他人の技術を盗んでみてください。音響の場合の基礎は細やかな音を聞き分ける「耳」を持つこと。聞くことはもちろん耳の訓練にもなるし、想像力を研けます。いろいろトライするうちに、ぼんやり見えてくるものです。たとえたどり着けなくても、今までと違う発見をするものです。それもまた楽しいものです。

 今度は逆です。既に自分のオリジナルでミックスした仕上がりの作品を、歌(主旋楽器)を外して聞いてみ てください。バランスの良いミックスは、カラオケだけでも心地よく響きとても良いものです。

 始めは真似を。それで終わらず、だんだん自分の個性を見つけて延ばして行く。興味を持って体得したものは、ながく自分の宝となり得るのです。つまり、パクるだけで終わらず、盗んだ手法を自分のものとして加工出来る感性が大切なんですね。  ちょっと、蘊蓄(うんちく)が過ぎましたかな。

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録音のすすめ その6 〜逢わぬが花、というけれど〜
  ある新聞社に名物記者がいました。こころを揺さぶるような魂を吹き込まれた記事は人気がありました。記者を辞めてからも文章を書く仕事を続けておられます。今はときどき私の友人の職場でも仕事をなさっています。人の喜怒哀楽を表す作品はますます研かれ、豊かな語彙は日本語の奥深さを感じさせます。先日、新聞社時代の氏の記事に惚れた女性ファンが人づてに聞いて、友人の職場を訪ねて来ました。氏はあいにく外出中。後でそのことを伝えると「逢わぬが花、と世阿弥が申しております」と、さらり。「なんとか会って話して上げてください」との再度のたのみにも、「逢わずに愛して、と内山田ひろしとクールファイブも歌っています」と、かわされてしまいました。この話を聞いたファンは結局、会うことを諦めたそうです。これは男の照れだけでなく、作者に会うことによって作品のイメージが変わって、がっかりすることを心配されたのです。

 作品の魂は音楽の世界でも通じるものがあります。今回は音の魂を、設備や環境から少し触れてみたいと思います。少し長くなりそうです。

 私のスタジオでも、自宅で録音したテープをマスタリングに持ち込まれるときがあります。スタジオでモニターしてみると、妙に特徴あるギターの音が浮いて聞こえたり、ベースの低音が全体に回って他の音を消してしまっていたりします。音づくりを個性的に作る気持ちがよく出ているとはいえ、「木を見て森を見ず」という印象の作品になりがちです。録音するときの哲学、とゆうか、独りよがりの解釈ゆえに、出来上がり作品に訴える力が弱くなっていると感じることがあります。

 そこで、格言。「かっこいい音は自己満足、かっこいい演奏こそ聴く人を捉える」

 いい音を録ろうとしないで、まずいい演奏を録ろうと心がけます。すると自然にいい録音ができるのです。つまり、個々の音にとらわれずに、全体を見渡せる感性をつけるのです。もちろん個々の音がどんな形で入っているかを考えるのは大事です。それ以上に全体の出来上がりの上にどのような個々の役柄で乗っているかを聞き分けて、作品全体を捉えておくようにしましょう。

 体よくファンの面会を断わるために使われた世阿弥は、およそ600年前に猿楽を再構築した「能」によって「幽玄」の表現手法を創り上げました。録音の世界に当てはめると、個々の音の集まりによるオーラのようなものが、聴衆を魅了する音楽の魂になるのです。録音の折り、その曲が何を大切に捉えているかを制作に携わるミキサーが見えていると、出来た作品に魂が宿る。つまり音の集合体によって聴く人に訴える音楽の心が創られるのです。

 自宅録音の問題点として、もう一つ。モニター音の特性です。  マスタリングに持ち込まれる音が時として、極端に低音が出ていたり、高音がシャリシャリしていたりします。これは自宅録音時にモニターしているスピーカーが、偏よった音の特性になっているのではないかと思います。それでも、全体のバランスがほどよくミックスがされている曲なら、少し修正するだけで聞き易いマスタリングに仕上がります。

 ミックスした音は、モニター・スピーカーによって違ったバランスで聞こえます。スタジオでモニターするときには、ラージ、スモール、ラジカセ、と3種類のモニターを聞き比べます。どのモニターでもねらい通りのイメージで聞こえてくるかチェックしているのです。自宅録音では複数のモニターでチェックする設備はなかなか叶いません。できるだけ自然に聞こえる気に入ったスピーカーで、バランスよく入っているプロの曲を聴き込んで、耳を肥やしておくことも大切です。さらに、ミックスの時には、別のスピーカーでもイメージ・チェックします。

 狙い通りのイメージで聞こえてくるかどうか。判断材料で中心になるのは曲のイメージです。能楽でいうなら幽玄が吹き込まれたかどうかです。音を追いかけていては、猿楽のままなのです。

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録音のすすめ その7 〜一発録音のときめき〜
  前回より哲学的というか、音の魂てゆうか、「幽玄」てな言葉も軽く使ったりして…。  今回も続きます。

 先日、狂言のテープを編集する仕事をさせていただきました。京都は伝統芸能が、いまも息づいています。かつて舞台能の間つなぎとして存在感が薄かった狂言ですが、今の若者には大人気です。関東の和泉元弥、野村万斎、関西では茂山千三郎、茂山逸平などの狂言出身の若手役者が活躍しています。

 狂言はもちろんそうですが、伝統芸能には演じる「型」があります。ところが室町時代の観客を意識した「型」が、いまの時代の観客が受ける思いと一致することはありません。当時の芸能の魂を現代に再現しようとすれば、さまざまな工夫や新しい試みが必要なのです。京都の伝統狂言・大蔵流の演者としての茂山一門は、一方で進取の気性も持ち合わせておられます。そのことが幅広いファンを引きつけている要素だと思うのです。

 新作の狂言です。口承されてきた昔話を題材にしたもので秀作です。なんと、オーケストラの生演奏をバックに演じられています。ライブ録音にありがちな、一部にノイズが入っているところがあります。そのままCD化するのは問題です。スタジオ録音ですとその部分だけやり直して後で修正がきくのですが、街のホールで録ったものですので、もう一度やり直すわけにいきません。このケースでは、たまたま他でビデオを撮っていたので、その音を手直しして出すことになりました。

 生演奏を録音するとき、同じものは二度と録れません。生だからこそ、迫力と緊張感が新鮮です。このおもしろさはスタジオ録音では得られないもの。ときめきです。

 ライブが打ち込み演奏とは大きく違っているところです。表現のバリエーションも録るたびに違います。だから、生演奏を録音するのがおもしろいし意味があるのだと思います。写真にはカメラマンの気持ち(魂)が入っているように、実は、録音にもエンジニア(ディレクター)の気持ち(魂)が入っているのです。

 生演奏の録音は、写真を撮るのと似ています。演奏者は写真でいうなら被写体で、録音エンジニア(ディレクター)はカメラマンということです。写真も録音も、その場の雰囲気や心の動きをとらえて記録することです。

 スタジオ録音でも、私は一発録音が好きです。みんなで同時に演奏して、全部の楽器を一度で録ってしまう録音方法です。かぶせる楽器を極力少なくして、緊張感を収めたいと考えています。作品には演奏技量が出てしまいますが、それに余りある何かを表現できると思うのです。

 その気になれば、最近のデジタル技術ならいくらでも修正出来ます。今や写真の修正も、コンピュータ上で自在に加工出来るようになりました。他人の顔とすげ替えたり、馬と人の合成をしたり…。遊べます。

 音楽の世界でも加工が容易になりました。差し替え(部分的な歌い直し)は簡単に出来ます。また、肉声の音痴は治せないけれど、コンピュータ上で音程は直せるのです。やりたい放題です。演奏者たちにはミスが直せて綺麗に聞こえるので、とても喜ばれます。

 ただ…、作品全体を漂う雰囲気や心の動きが途切れて、バラバラになってしまいがちです。合成写真にならないように、私は、できるだけ手を加えないように心がけています。 作品も「狂言」にならないように。

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録音のすすめ その8 〜空を飛ぶ作品を〜
  今回は、私が考える作品のあり方、楽曲(作詞・作曲)についてお話しします。

 アマチュアの人が自分たちの作った作品を聞いて欲しいと訪ねてきました。 プロになりたいと考えているとのこと。うまく作品がまとまらないと悩んでおられます。聴くと、いま流行りの雰囲気が出ていてうまく歌っていました。でも、しっかりした一本筋の通ったものが感じられません。

 ずいぶん前のことです。「俺は、1日で100曲、作曲できる」という、自ら天才作曲家を名乗る人と会ったことがありました。聴かせてもらいました。ところが、どの曲もどこかで聞いたような同じようなメロデーです。ほんとうにこの1音でよいのか、この言葉が最適なのか。何度も練り上げて、いろんな人に聴いてもらってアドバイスを得てほしいものです。1曲について1カ月も2カ月もかけて。つまり、文章でいう推敲です。

 作品を創る一つの方法としては、テーマを絞り込むと良いでしょう。何に感動したのか、どういう気持ちを伝えたいのか、はっきりさせること。身近なテーマでいいのです。そこに大きなテーマが隠されていると、より素晴らしいと思います。

 いろんな気持ち(テーマ)を曲の中に入れてしまうと、他人に訴える表現が弱くなります。聴く人にとって、何を受け入れたらよいか分からなくなってしまいます。テーマがどんどん変わっていくのも好ましくありません。わざと逆効果を期待した、そういうジャンルの曲もありますが…。

 サビ(のようなメロディー)が2つあるというのもダメ。そんな曲は2つに分割して、2曲作った方がいいでしょう。歌詞やソロパートについても、同じことが言えます。つまり、その曲を聴いた人が何かを感じ、浮かんでくるようになればいいのです。

 これが作品を作るすべてとも考えないでください。あくまで私が考える作品のあり方です。一つのヒントと思ってもらった方がいいでしょう。

 世の中には、とんでもない曲が流行っています。プロというのは曲だけではなく、ルックスやキャラ(キャラクター。この頃はこういうようですが)など、多面的な評価をされます。長く生き延びる作品とはまた、違った要素ではありますが。

 ローマは一日にしてならず。木を見て森を語らず。ちょっと違うかな。 「歌が空を飛ばなくなった」、「ミュージックはあるがソングはない」と、嘆いた人がいます。作詞家の阿久悠さんです(「書き下ろし歌謡曲」岩波新書#520より)。あなたの作品が空を飛ぶように願っています。

 みなさん、いい作品を作ってください。

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  録音のすすめ その9 〜魂を伝える術〜
  今回は歌うときや、演奏の心構えについて話します。

 テレビなどで、タレントが歌手になったり、歌手が役者になったりするのをよく見かけます。そもそも、役者や歌手というのは人に作品を通じて自分のハート(魂)を伝える仕事なのです。感情を表現するのが上手な人は、役者にも歌手にもなれるということだと思います。もちろん得手、不得手はありますが。

 そう。歌うときには、「役者になれ」ということです。演奏も同じです。

 日ごろの練習で、歌唱力(表現力)のテクニックを磨き、録音当日はその曲の主人公になりきって、歌う、演奏するのです。自分のキャラがまだ出来上がっていない人は、好きな歌手(演奏家)のまねをして歌うのも一つの方法です。まねをして歌っているうちに個性がわかってくることもあります。

 録音を進めていると、いま何を考えて歌っているかもわかるようになります。その人の内なる人間性までが見えてくるのです。感情がこもったテイクには、魂を感じます。邪心が入ると上辺だけの薄っぺらい歌に聞こえます。音程がどうだの歌い回しを気にしながらだと、やはり、良いテイクは録れません。

 録音の当日に、歌唱力や演奏テクニックが急にうまくなるわけがありません。技術に気を取られると、肝心の気持ち(魂)を伝えることが置き去りになります。収録のとき私は、感情表現を第一に、テクニックがそれに伴えばなおさらに良い、というくらいに思ってディレクションを執っています。

 自作曲を録るときなどは、ぐっと思い入れがあるからでしょう。涙を浮かべて歌う人もいます。そのような録音は大成功です。

 芸術には、いずれも共通点があるようです。一つのことを体得すると、いろんなことが見えてきます。 ふだんからいろいろな方面からチャレンジして、あなた自身を磨いてください。

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  録音のすすめ その10 〜録音は、おもしろい〜
  なんだかんだ言っているうちに、このコラムも10回目になってしまいました。

 だんだん話す内容が、どうも最近は、精神論的なことばかりになってしまいます。年ですかね。つまらないですね。
ただ、私が言いたかったことは、「録音は、おもしろいですよ。」ということです。
「録音のすすめ」は、ここらで一息つくことにします。

 次回からはもう少し具体的なことをお話しすることにしましょう。
 かといって具体的な題材を探すのが大変です。そこで思いついたのが、過去の私がたどった経験談がいいかと思いました。

 題して、「タウンハウスの歩み」です。

 タウンハウスも23年目を迎え、もう昔の様子をご存じの方も少なくなってしまいました。
また、当時の録音方法や機材のことは、現在の宅録をされている方などには、参考になることもあるかと思います。機材は、古いものばかり出てきますが、録音方法などは、現在とさほど変わってはいません。当時のエピソードも交えてお話し致します。
では、タイムマシンに少し乗っていただきましょう。

 2002・・2000・・1990・・1980

 1980年、昭和55年にタウンハウスは、生まれました。
ただ、生まれるのには、何かが必要です。もう少しさかのぼってみましょう。

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  タウンハウスの歩み その1 〜遙かなる思い〜
  タイムマシンは、進みます。 1970・・1960・・1950

 おっと、行き過ぎました。1953年(昭和28年)私は、生まれました。
私が生まれたからと言って、特に変わったことはありません。
今度は、少し元に戻します。

 1965年(昭和40年)、私は、中学生の頃からバンド活動を始めました。当時から、メカニックのことが大好きで、アンプを作ったり、家にテープレコーダーがあったので(当時は珍しいモノでした)、それに演奏を吹き込んだりもしていました。バンドの連中からは、重宝がられました。どこからかマイクを調達し、PAもどきのアンプに繋いでボーカルが鳴るようにしたり、ライブのセッティングは、もっぱら私の仕事になってしまいました。

 録音もよくやっていました。2台のテープレコーダーを交互に重ね録り(オーバーダブ・ピンポン録り)して多重録音のまねごともしていました。ただ、ミキサーといってもボリュームだけのパッシブ・ミキサー(電子回路のないモノ)でイコライザーもなく、テープデッキの性能も相まって、できあがったモノは、モゴモゴの何を演奏してるのか微かにわかる程度のものでした。曲は、ビートルズの「ザット・ボーイ」でギター、ベース、ボーカルにコーラスが上下に付く5重奏でした。ラジオ局に送ったところ珍しかったのでしょう、かけてくれました。ちなみに、演奏者は、兄1人です。わたしは、レコーディング・エンジニアでした。

 今思うと、これが私の録音初作品でした。ここで勉強になったのは、ピンポン多重録音をすると高域が落ちていくと言うことです。以降、この教訓は、テープデッキを使っていくあいだは、非常に役に立ちました。

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  タウンハウスの歩み その2 〜帰ってきた酔っぱらい〜
  時代も進み1970年、高校・大学生の頃(昭和45〜50年頃)になると、バンド活動よりも録音や音響に興味が出始めました。テープレコーダーも性能が良くなり3ヘッドデッキが出始め学生でも手に入るようになりました。

 当時録音をしてよく覚えているのが、フォーク・クルセダーズの「帰ってきた酔っぱらい」をコピーしたことです。「おらは、死んじまっただー」のフレーズでおなじみの曲ですが、テープスピードを半分に落として歌を録音をして元のスピードで聴くとあの声になります。そのときのボーカルは、私の兄の同級で、先輩にも当たる、「イチゴ白書・・・」「SACHIKO」でおなじみの(まだデビュー前の)「ばんばひろふみ」さんでした。録音ブースもなく、目の前でゆっくり歌っているのを聞くと、吹き出しそうになり、笑いをこらえるのが辛かったことをよく覚えています。その後ばんばさんには、公私にわたり大変お世話になっております。

 また、当時のアルバイトでは、京都会館に行っていたのが良い経験になりました。
友達の紹介で始めたのですが、華やかなホールではなく、会議室の議事記録用の録音がメインのバイトでした。遊びの録音ではなく、ミスの許されないプロの録音をここで学びました。
マイクケーブルの巻き方、テープデッキの録音ヘッドのクリーニングのやり方やテープのハサミの入れ方など基本的なことを教わりました。また、本番中、雷で停電、そのショックで、調整卓が故障したとき、ホールの主任の方が取られた迅速な対応を見せてもらい、何が何でも仕事は、こなさなければならない厳しさを痛感致しました。

 講演された方の中には、当時、参議院議員に成り立てで後にいろいろと物議を醸しだし、今やただの人?になった「横山ノック」さんなんかもおられました。
ホールでのお手伝いをしたときは、マイクのアレンジやケーブルの引き回し方、檜舞台には、決して土足では上がってはいけないことなど怒られながらいろいろと教わりました。

 このころの経験が、私の現在を作ってくれたような気がします。

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  タウンハウスの歩み その3 〜急がば回れ〜
  どうも私の回顧録みたいになってしまってますが、もう少しお付き合い下さい。

 スタジオを始めるまでには少し回り道をしています。 これもまた、私にとっては、非常に有効な充電期間でした。

 大学を卒業後、ある企業に就職致しました。オイルショックの真っ直中で、就職難。そこへ持ってきて学校では、好きなことばっかりしていましたので、成績もイマイチ。苦労してやっと拾ってもらった会社でした。

 電気関係の会社でしたが、いろんなことをさせられました。機械工作が得意な会社で、メカトロニクスを目指していたので、両方を知らないとダメと考えていた会社でした。そこで、旋盤やフライス、ボール盤などいろんな機械の操作を習得しました。元々、そう言うものにも興味がありましたので、喜んでしていた方でした。そのおかげで、今では、自作のVUメータなどのケース工作などは、プロ並みに出来るようになりました。

 ただ、会社員は、いろんな制約があり自分のやりたいこととは、違う気がして、2年でやめました。

 ここで人生の活路に気付けばいいのですが、まだ何をしたらいいのかわからず、自分を見つめに海外へ旅立ちました。

 といっても留学とかホームステイとかではなく、バックパック旅行−放浪の旅でした。2年勤めていた会社で貯めたお金が少しありましたので、そのお金をつぎ込んでの旅でした。1年の往復航空切符1枚を買ってどこへ行くのも決めずの旅です。

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  タウンハウスの歩み その4 〜世界は、広い〜
  1977年4月、まずは、パリに到着、ヨーロッパを1周(約6ヶ月)、アフリカに立ち寄り(約2ヶ月)、インドからアジア(約4ヶ月)を廻って帰国しました。期間は、切符の有効期限いっぱい1年ちょうどでした。今では、猿岩石、ドロンズなどでお馴染みになりましたが、当時は、情報誌もなくいろいろ苦労しました。

 ヨーロッパでは、コンサート・ライブハウスや劇場、教会を巡り歩き、博物館、美術館も軒並み廻りました。
 イギリス・ロンドンでは、機会があってあのEMIのアビーロードスタジオにも見学できました。
「ジェネシス」のコンサートにも行きました。
 オランダ・アムステルダムでは、小屋(倉庫)一軒がライブハウス(http://www.melkweg.nl/home.htm)になっているところで、感動しました。
 オーストリア・ウィーンのオペラ劇場で「魔笛」を観て、ドイツ・ベルリンで「ベルリン・フィル」も聴きに行きました。ミュンヘンでは、「レインボー」のコンサートにも行きました。

 アフリカでは、エジプト・ケニア・タンザニア・エチオピアを廻り、ジャングル、サバンナ、砂漠、動物に触れ、大自然を味わいました。
 エジプトでは、古代エジプトの神殿やナイル川の雄大さを味わいました。
 ケニア・タンザニアでは、本物の野生動物に囲まれました。

 アジアでは、インド・ネパール・ビルマ(現在のミャンマー)・タイ・フィリピンを廻り民族音楽や異文化に触れました。
 インド・ネパールでは、瞑想にふけり、ボンベイでは、ジャズ・フィスティバルで「ラビシャン・カール」や「ソニーロリンズ」も観られました。シタールもこのとき買いました。
 ビルマ・タイでは、仏教の原点を見たように思いました。

 この一年は、私にとってかけがえのない1年でした。おかげで世界の文化に触れ、いろいろと見聞を広められました。これが今後の人生の大事な糧となっていきました。
 前回の「録音のすすめ」で出てきたいろいろな音の表現方法の元は、ここから生まれました。

 これを書き出すと、これだけでコラムが過ぎてしまいそうです。本題に戻るためこれくらいにしておきます。

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  タウンハウスの歩み その5 〜産みの苦しみ 1〜
  前置きが非常に長くなりましたが、いよいよタウンハウスを作る本当のきっかけになった出来ごとをお話し致します。

 帰国後、社会復帰に少し時間がかかりましたが、ぶらぶらもしてもいられません。再就職に走りました。
幸いすぐに、松下系列の半導体を作っている会社に就職できました。非常に忙しい会社で、3交代制の機械が24時間稼働していました。そこの機械のメンテナンスを任されました。機械は、24時間動いていましたが、見る人間は1人、てんてこ舞いでした。大きい会社の歯車になることの厳しさもここで味わいました。

 ただ、やはり私には、サラリーマンは向いてはいませんでした。窮屈さに負け、2年でやめました。このころから、自分で商売が始められないか、自分の能力をお金に返られないか考えるようになりました。
ちょうどそのとき、持ち上がってきたのが、家の改築でした。
これが、タウンハウスを始めるきっかけになったのです。

 1980年(昭和55年)会社勤めをやめようとおもっていた頃、兄のバンド練習場として使っていた土蔵をつぶし家を改築することになりました。兄と私の提案で、練習場も一緒に建てることになりました。高度成長の頃、サラリーマンの給料を貯めて少しは、資金も出来ました。

 というわけで、スタジオの建築は、進められたのですが。

 おっと、時間(何の時間?)がここでなくなりました。この続きは、次回で。

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  タウンハウスの歩み その6 〜産みの苦しみ 2〜
  相変わらず引っ張りますね。悪い癖です。反省。

 さて、はじめに作ったのは、現在のAスタジオでした。せっかく作るのなら、練習だけでなく、録音も出来るようにしたいと思い、こんなに本格的に録音をするようになるとは思わず、一応ミキシングルームも兼ねた受付も一緒に作ることにしました。

 でも、当時は、スタジオがどんなモノなのか、参考になるモノもなく、雑誌の写真やリスニングルームの紹介記事やばんばひろふみさんの紹介で東京のスタジオを見せてもらったりして、手探りで建てることとなりました。ただ、防音専門業者を知らなかったので、防音知識を自分で勉強して知り合いの大工さんに頼んでやったため、満足のいかないものとなりました。後に増築をしたBスタジオの時は、防音専門業者に依頼したので、さすがに完璧なモノを作ってもらい、Aスタの時も、そうすれば良かったと、後悔しました。でも、おかげで、防音建築の知識は、つきました。

 実は、当初は、プライベート・スタジオを作ることになっていました。ところが、ふたを開けてみると建築費が膨大になり、これは、少しは他人に貸して取り戻したいと欲が出ました。まだ、世間では、貸しスタジオが出来はじめた頃で、私もちょうど会社を辞めることにしていたので、本格的に始めることにしたのが、京の町屋に出来たスタジオ、タウンハウスの始まりです。

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  タウンハウスの歩み その7 〜星に願えば〜
  やっと出来たスタジオですが、楽器の機材には、お金をかけましたが、録音機材には回りませんでした。
ミキサー卓は、ヤマハのPM700。レコーダーは、デンオンのオープンテープデッキとカセットデッキだけでした。マイクもシュアーのSM58とSM57が数本あるだけでした。お客さんも録音をしてくれと頼まれるよりは、こちらから、録らせてほしいと頼む方でした。録音方法も一発録りだけで、重ね録りは、出来ませんでした。デッキ間のピンポン録音は、昔で懲りていましたから、極力しませんでした。

 最大の難点は、リバーブがないことでした。あるにはあったのですが、当時のリバーブは、プロのスタジオでは、ルームエコー(別にコンクリートの響く部屋を作くってそこで響かせた音を利用する)か、EMTの鉄板エコー(鉄の板を吊して振動を応用した残響装置)が主流で、非常に高価なモノでした。こちらが手に入るのは、せいぜい安物のスプリング・リバーブ(バネを応用した残響装置)で、歌とかソフトな音には、そこそこかかるのですが、強い音、ドラムなどには、ビロビロ〜としか鳴らず、聞けたモノではありませんでした。
テープエコーはありましたが、あの深いリバーブ感は、出せませんでした。

 機会があって、東京の日活スタジオとソニーの六本木スタジオを使ったときの感激と来たら、それはすごいものでした。あのEMTの鉄板エコーは、いつもレコードで聴いていたあの音そのものでした。ノイマンのコンデンサーマイクの透き通るような歌声には、感動を覚えざるを得ませんでした。

 必ずや将来、手に入れたいと願ったのは言うまでもありません。
(かなえられたのは、10年後でした。)


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  タウンハウスの歩み その8 〜長い道のり1〜
  独り者の強み、売上は、ほとんど機材の投資に回しました。

まず手始めにリバーブでした。まだ、プロ用のデジタル機材が出始めた頃で価格が高すぎて手が出ませんでした。YAMAHAのREV-1が100万円以上しました。
そこでまだ安かったAKGのスプリングリバーブBX-20が欲しかったのですが、それも手が出ず、国産メーカーでREVACと言うところから1Uのラックマウントのスプリングリバーブが出ました。これを2台ステレオ仕様で購入しました。でもやはり、あのプレートリバーブの音には、ほど遠く打撃音には、思い通りの残響は付きませんでした。

少し経つとデジタル・ディレーが安く出だしました。ROLANDのSD-2000でした。早速購入して重宝しました。テープエコーは、お蔵入りとなりました。ROLANDからは、ほかにもディメンジョンで有名なSDD-320やフランジャーのSDF-325も購入しました。

デジタルリバーブが出だすまでには、少し時間がかかりました。スタジオに入った第一号は、YAMAHAのREV-7でした。これでリバーブの音がすっかり変わりました。あのプレートエコーがシュミュレートでき感動的でした。その後、SONYのR-7、LEXICONのPCM70と買い足していきました。
いろいろな種類のリバーブをその音ごとに掛けるには、3台要りました。

他にもマルチエフェクターとしてYAMAHAのSPX-90からSPX1000までいろいろ買い足していきました。
こういったものは、いくらあっても足りませんでした。

マイクもゼンハイザーのMD421を始めAKGのC-451など手の届くところから買いそろえていきました。

肝心のミキサーですが、YAMAHAのPM700は、PA卓で録音には向いていませんでした。
8CHのマルチレーコーダーを買うことにしたので、それに合うミキサーを探しました。当時は、まだレコーディング卓というものが、各メーカー出していませんでした。その中でRAMSAから輸出用に16-in,8-GroupBus,16-Monitorの卓があるのを見つけました。型番は、確かRM8916でPA用のRM8816を改造したもので、ステージモニターのマトリクス部分を16CHマルチのモニターができるようにしたタイプです。将来マルチを買い換えたときも使えるようにと選びました。輸出用と言うことで国内には、カタログにも載っていませんでした。これを何とか手に入れようと四苦八苦し、やっとの事で手に入れました。

マルチレコーダーは、8CHから始めました。この当時は、TASCAMのA-80が主流だったのですが、ちょっとこだわりOTARIの5050MK2にDBXのノイズリダクションを付けてオリジナルラックに収め、使ってました。安定した走行系に、しっかりした音で非常に気に入ってました。

モニタースピーカーですが、憧れのJBLを入れました。4311Bでしたが、後に改良型の4312に買い換えました。この機種は、未だに売られている名器で、狭いミキサールームには、ぴったりの機種で手放せない機械のひとつです。

この設備に至るまでには、5年くらいかかりました。


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